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大阪府出身。東京藝術大学作曲科、および同器楽科卒業。これまでに、作曲を浦田健次郎、故山田泉、川井学、オルガンを深井李々子、廣野嗣雄、早島万紀子、通奏低音を廣野嗣雄、今井奈緒子、チェンバロを小島芳子の各氏に師事。大学卒業時に日本オルガニスト協会主催第29回オルガン新人演奏会出演。ダルムシュタット夏期現代音楽祭、ドイツのオルガン名手クリストフ・ボッサート氏公開レッスンなどで研鑽を積み、ソロ、アンサンブル両方で活動中。目下、オルガン空間の多様な在り方を模索している。St.Paul International Lutheran 教会オルガニスト。日本オルガニスト協会会員。2004年7月、新宿文化センターにて新進気鋭のオルガニスト、岡本桃子、浅井美紀とともに、邦人作品を含む、現在日本国内ではほとんど演奏されていない現代オルガン作品を中心に、珠玉の名曲を取り揃えてコンサートを開催する予定。





ルイ・ヴィエルヌ/Louis VIERNE
#ウェストミンスターの鐘/Carillon de Westminster

ジャン・アラン/Jehan ALAIN
#クレマン・ジャヌカンの主題による変奏曲/Variations sur un thème de Clément Janequin
#アリア/Aria
#リタニー/Litanies

ヨハン・セバスティアン・バッハ/Johann Sebastian BACH
#前奏曲とフーガ ハ長調/Praeludium und Fuge C-dur BWV545
#小フーガ ト短調/Fuge g-moll BWV578
#エアー(G線上のアリア)/Air

セザール・フランク/César FRANCK
#コラール1番 ホ長調/Choral Ien Mi majeur





より深く演奏を楽しみたいあなたのために、曲目を作曲者の軌跡と共にご紹介しましょう。

ルイ・ヴィエルヌ
正式名は「ウェストミンスター宮殿」であるロンドンの国会議事堂には、1859年以来、毎日15分おきに時を告げてきた重さ13.5トンの鐘があります。工事担当者の名前にちなんで、鐘の愛称は「ビッグ・ベン」。日本でも学校のチャイムとしてよく耳なじんだあの音です。フランス人オルガニスト・作曲家であったヴィエルヌがこの鐘の音をモチーフに書いた作品がウェストミンスターの鐘で、オルガンのための「幻想曲集」とタイトルの付された四巻組の曲集の第三巻に収められています。終始、ビッグ・ベンの揺れている様子が描かれながら、冒頭のppから最後のfff まで不断に音量が増してゆくさまは実に圧巻。ヴィエルヌは、パリはノートル・ダム大聖堂歴代オルガニストの一人で、プログラム最後に演奏されるフランクの教え子の一人でもありました。

ジャン・アラン
第二次世界大戦時、戦地ソーミュール(フランス)で29年の短い命を終えた一人の音楽家がいました。約10年に亘って生き急ぐように作曲を続けた彼、ジャン・アランの残した作品はおよそ120曲。うち、オルガンの為の曲は4分の1の30曲余りです。14世紀の恋愛歌が主題として用いられ、スタイルや音色もフランス古典期のそれに関連付けられたクレマン・ジャヌカンの主題による変奏曲。続いてアラン最後のオルガン作品となったアリア。そして、カトリック典礼の形式の一つで、司祭の祈願に信徒が唱和する「連祷」の意味をもつリタニーは、彼のオルガン作品のうち最も多くの聴衆に知られています。作曲年の1937年に不慮の事故で妹を亡くし、その魂の上に神様の慈悲を懇願する思いが執拗に繰り返されるモチーフに表されて、激しくも切ない叫びとなって聴く者に迫ります。

ヨハン・セバスティアン・バッハ
時は遡り、17世紀終わりのドイツ。一族代々オルガニストという家系に生まれたバッハは、幼い頃からオルガンその他の楽器を習得しました。すでに職業オルガニストになっていた長兄に育てられて、18歳でバッハ自身もオルガニストとなり、その後この楽器は彼の生涯の伴侶となります。前奏曲とフーガ ハ長調 はオルガノ・プレノという輝かしい音色の組み合わせで演奏される、溌剌とした作品。次に、見事な主題を持ち、声部の絡み合いや響きの自由なたわむれ、なんといってもその曲線美に心奪われる小フーガ ト短調。続くエアーは19世紀の作曲家によって編曲された「G線上のアリア」としてよく知られています。原曲は、ブランデンブルグ協奏曲と並んでバッハのオーケストラ作品を代表する、「管弦楽組曲第三番」の2曲目にあたる弦楽合奏の曲です。

セザール・フランク
華やかなピアノの名手にしようという父の意志とは正反対の道を生き続けたかのような息子は、オルガニスト、音楽教師となり、作曲家としては50歳を過ぎてから傑作を残しました。1822年ベルギーのリエージュ生まれのフランクがその生涯のほとんどを暮らしたのはフランスです。当時のフランスの楽壇は、古典派の芸術が忘れられて軽い劇音楽が大衆の好みと一致し、主流になっていました。若いフランクも初めはそのような音楽の模倣をしていましたが、やがて内なる声にしたがって孤独の中で自分の道を開き、栄誉をはなれて黙々と天職に自分を捧げながら、晩年には素朴で堅固で深く温かな包容力をもった音楽を書きました。コラール1番 ホ長調は、彼が68歳で死を迎える直前、生涯最期の時を費やして書いたオルガンのための「3つのコラール」の第1曲目です。変奏の技法を取り入れた、交響楽のような壮大さを持った作品です。彼のほかの傑作とともに、今も人々の心に大きなひかりを投じつづけています。




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